梨野つぶて


『蒔かれた種と、森の魔女』


「じゃんけん、ぽん!」

秋空の下、子ども達の声が響き渡った。




今日は年に一度の親族会議だ。それは子ども達にとって自分の従兄弟に会えるめったにない機会。だからいつもこの日は一年分、従兄弟達と遊ぶのだと決めている。鬼ごっこ、ボール遊びにかくれんぼ……一族が所有するこの六軒島は、子ども達が遊ぶのに十分すぎるほど広かった。



今日の遊びはかくれんぼ。鬼は朱志香に決まった。幼い真里亞は譲治と一緒に、戦人は一人で隠れることに。先に見つかった方が、次の鬼だ。





「まあ、この朱志香様にかかれば戦人なんて瞬殺よ!次の鬼にしてやるぜ」

「いっひっひ、どうだかなあ!見てろ、後で頬杖かいても知らねえぜ?」

「まあまあ二人とも。あと戦人君『頬杖』じゃなくて『吠え面』ね」

「うー」



「そんじゃいくぜ!いーち、にーい、さーん、……」



朱志香がそう言って目を閉じると同時に、三人は一斉に駆け出した。譲治と真里亞はお屋敷の中へ。戦人もそれに倣おうとして、けれども思い直した。

戦人には分かっていた。朱志香は絶対、戦人を狙う。先に見つかった方が次の鬼なのだ。もしかすると真里亞達をスルーしてまで戦人を探し出すかもしれない。お屋敷内は彼女の領分だ。きっとどこに人が隠れやすいのか、完全に理解しているのだろう。お屋敷に隠れるのは、まずい気がする。

戦人はどこかに隠れやすいところはないか辺りを見渡した。薔薇庭園、お屋敷の倉庫。

そこまで見てふと目に付いたのは、…うっそうと茂る、森だった。



ここなら、朱志香も見つけられないに違いない。そう思った。薄く苔の生えた土に足を踏み入れる。少しひんやりとした空気を吸いこんで、戦人は森の中へと入っていった。









森の中には、魔女がいる。

お前を狙っている魔女が。

森に入ると魔女が来て、

きっとお前を喰ってしまう。









この怪談は、誰に聞いたものだっただろう。話を聞いた当時は怖くて夜トイレにも行けなかったが、今となってみればただの「作り話」だ。子ども達が森へ入らないように大人達が考えた、脅し。けれども所詮ここは小さな島にすぎないのだ。少しくらい迷ったって、すぐに抜け出せる。

……そう思っていたのは、今から三時間ほど前の話だ。



かくれんぼはもう終わってしまったのだろうか。そろそろ日が傾きだして、心なしかより一層森が暗くなったような気がする。どこか一つの方向へ突き進めば抜け出せるだろうと思っていた。すぐにまた元の屋敷へ戻れるものだと思っていた。甘かった。

未開の森に道なんてない。あるのはグネグネ曲がるケモノ道だけだ。北に進んでいたはずが東に、西に。いつのまにか自分が今、島のどこにいるのかも分からなくなっていた。

歩みを進める。不安で鳩尾の辺りがむずむずした。目に涙がたまる。でも泣いたって誰にも聞こえないのだろう。この広い森の中に、自分は、一人だ。





……いや、もう一人。





戦人は首を振った。魔女なんている訳がないあれはただの作り話だ。頭の中で何回も何回も否定する。なのに、想像してしまう。魔女はすぐそこにいて。今なおその存在に気付けない自分の背後でケタケタと笑って。そして自分の肩に手を……。



「戦人様?」



「うわあああああ!!」

「きゃああ!」



その時森で、二人分の声が響いた。……二人分?

戦人の想像は半分正しかった。背後に立っていたのは森の魔女ではなく、



「紗音、ちゃん?」



紗音は目をまん丸にして戦人を見ていた。こんなに驚かれるとは思っていなかったのかもしれない。バクバクとうるさい心臓の鼓動も冷や汗も、しばらく止みそうになかった。



「森に、いらっしゃったんですね。先ほどから朱志香様や譲治様が探しておられましたよ。……戦人様、大丈夫ですか?」



そう心配そうに聞かれて思わずへへへと笑い返した。正直全然大丈夫じゃない。でも同世代の女の子に弱ったところは見せたくなかった。

あとで分かった事だが、そこはちょうど屋敷の裏にあたるところだったらしい。いつの間にか元の屋敷に帰ってきていたのだ。



そこで戦人はふと、気付いた。

紗音の手に持っている、本に。



「あっ……!」紗音はとっさに本を後ろ手に隠して、恥ずかしそうに俯いた。けれども紗音からチラリと覗くその本の装丁に、戦人は見覚えがあった。



「それ、『そして誰もいなくなった』じゃねえの?」

「え……?」



「俺もその本すげえ好きなんだ!もしかして紗音も、ミステリー好きだったりするのか?」





紗音は今度こそ目を見開いた。そこには驚きと、……隠しきれない『喜び』があった。

ミステリーに早い時期からどっぷり浸る小学生は、そう多くない。少なくとも二人にはミステリーを語り合える友達はまだいなかった。







「……ここのすぐ近くに、海の見える場所があるんです。そこからの景色がすごく綺麗で、気持ち良くて……。だから今日みたいな天気のいい日は、よくそこで本を読んでるんです。あ、サボりとかじゃないですよ!」

そういって紗音ははにかんだ。西日に照らされたその笑顔は、戦人にはひどく幻想的に見えた。
帰ろう、もうすぐシフト入ってるんだろ?戦人がそう聞くと紗音はひどく慌てた風でわたわたと駆け出した。戦人もその背中を追う。さっきまであんなに心細かったのがまるで嘘のようだった。

「なあ紗音ちゃん、さ」
戦人が紗音と並んだ。紗音はあまり走るのが得意でなかったらしく、もう諦めたように歩きだしていた。後で夏妃おばさんに叱られないだろうか……でも一緒になら、怖くない。

「もし良かったらさ、今度……俺もそこで、一緒に本読んでもいいか?」
「え……?」

「俺、本好きの友達がいねえんだ。野球好きとかテレビ好きな奴なら結構いるんだけど、ミステリーなんて誰も読まねえし……今度島に来るとき、何かオススメの本持って来るよ。あ、迷惑だったらいいんだけどさ」
「い、いえ……私も、熊沢さんくらいしか、ミステリーの話を出来る人がいなくて。戦人様のオススメの本、読みたいです。私も戦人様と、本のこととか、ミステリーのこととか……もっと色々、お話したいです」





夕日の光が強くなっていく。早く帰らないと怒られるのに、戦人も紗音もどうしようもなく浮き浮きとした気持ちを抑えることが出来なかった。やっと好きなミステリーのことを語れる人を見つけた。次に会う時は何の本の話をしようか、どの作家について語ろうか……。











その時心に浮かんだ感情の名前を、戦人は、紗音は、まだ知らない。

その感情がこの先どれほどの惨劇を引き起こすことになるのかも。





そうしてひとつ、種が、蒔かれた。
inserted by FC2 system